朝鮮動乱 その4

7月7日、七夕の日。
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アメリカをはじめ16カ国が参加し、国連軍が編成された。
総司令官はマッカーサーである。
だが、こうしている間にも、北朝鮮軍の南進はつづいていた。
在日米軍は、大田から北上を試みたが失敗、逆に押し返されてしまう。
その後、国連軍も合流したが、7月中頃までに兵数は半減、大田の維持すら困難
になった。韓国政府は大邱まで後退する。
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7月20日、北朝鮮軍の猛攻をうけ、大田が陥落。
8月末までに、韓国・国連軍は、大邱と釜山、つまり、朝鮮半島南部に押し込ま
れた。
このままでは、全軍が日本海に蹴り落とされる。
しかし、背水の陣となった国連軍は必死だった。
アメリカ軍の将軍たちは高らかに宣言した。
「朝鮮半島からの撤退はありえない。我々は最後まで戦う」
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一方、北朝鮮側にもアキレス腱はあった。

快進撃の結果、兵站が伸びきっていたのである。
平壌から大邱まで、直線距離にして400km。
兵站が長いほど補給は難しくなり、兵站線を途中で絶たれる可能性も高くなる。
当然、絶たれた点の先には補給は届かない。兵站は人間の血管なのだ。

北朝鮮軍は優勢だったが、最後の一撃が打ち込めず、国連軍は防戦一方で、反撃
する余力はなかった。

ここで、マッカーサーは戦況を一転させる作戦に出る。
兵站線の真ん中、仁川に強襲上陸し、北朝鮮軍を南北から挟撃しようというので
ある。
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絵に描いたような作戦だが、包囲殲滅される可能性があった。
どちらかというと奇策、バクチに近い。
これが、歴史に残る『仁川上陸作戦(クロマイト作戦)』である。

9月15日、国連・韓国軍は仁川を奇襲した。
危険な敵前上陸を任務とするアメリカ海兵隊を先頭に、7万人が上陸に成功。
このとき、M26重戦車をはじめ、重火器も大量に持ち込まれた。
北朝鮮軍は、国連・韓国軍に挟撃され、算を乱して逃走した。戦局は一変したの
である。
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